| 小杉放菴(こすぎほうあん)
|
|
明治・大正・昭和を生きた 脱俗の文人画家 |
洋画家から日本画へと、異色の画歴をもつ放菴画伯。画題は山水・花鳥をはじめ、「金太郎」「良寛」「芭蕉」といった歴史・説話上の人物など多岐にわたりました。その卓越した詩文の才と心やすらぐ東洋的な作風は“近代の文人画”と賞賛されました。晩年は、新潟県妙高高原にひきこもり、日本画壇に独自の画境をきづく珠玉の名品を生み出しました。
|
|
| 略歴 |
| 明治14年 | 栃木県日光に生まれる。 |
明治40年 | 洋画家・五百城文哉の弟子となる。「未醒」と号す。 |
| 明治44年 | 文展出品の「水郷」最高賞。 |
| 大正2年 | ヨーロッパを遊学。 |
| 大正3年 | 日本美術院の再興に参加。 二科会審査員となる。 |
| 昭和10年 | 「放菴」と号す。 |
| 昭和12年 | 帝国芸術院会員となる。 |
| 昭和20年代 | この頃より、説話に題材をとった名品を多数制作。本画「良寛和尚月中舞」を制作。 |
| 昭和35年 | 画業60年展を日本橋屋で開催。 |
| 昭和39年 | 逝去、享年83才。 |
|
| 天衣無縫の人・良寛
|
良寛は、宝暦8年(1758年)越後・出雲崎の名主の子として生まれた。 18歳のときに仏門に入り、「良寛」と号した。漢籍作詩を学ぶ一方、禅の厳しい修行をつみ、諸国を行脚。 40歳ころ帰郷した良寛は、国上山の五合庵に定住し、作歌、作詩、書に親しむ。子供とともに遊び自然を愛した無私無欲の生き方から、庶民に「良寛様」と親しまれ、天保2年(1831年)74年の生涯を終えた。
|
|