香月泰男-年賀状- 「ひとつの美術品で、ぼくの宝物」 初めて香月さんに会ったのは、ニューヨークのパークアベニューにあったジャパン・ソサエティーの一室である。何かの手続きでパスポートが入用になったら、香月さんは無造作にズボンをゆるめ、腹巻からそれを出した。それまで私の親しんできた香月さんのモダンな画風と、そぐわないような気がしたから今でも鮮やかに覚えている。 その後1968年、私の「旅」という詩のシリーズに香月さんは絵をつけて下さった。ニューヨークでのわずかばかりの御縁に甘えるのはどうかろ思って、私は尻ごみしたのだが、べつになんの打ち合わせもなく、見事としか言いようのない絵が出来上がった。絵そのものもそれぞれに軽みの中にのびやかな抒情を感じさせて美しいが、詩との符合がまた憎らしいくらい決まっているのだ。 その御礼をかねて三隅へうかがった折りには、地のワインの一升瓶がずらりと並んでいるのに度肝を抜かれた。一日一本は空にするときいたが、酔って焼きものに絵付をする香月さんは楽しそうだった。私は魔法のようにものの形が一瞬にして現れるその筆先から目が離せなかった。 香月さんは私にまで、毎年年賀状を下さった。葉書にその年の十二支を端的な線でウィッティに画いたそれは、どの年も我が家に来る年賀状の中の文句なしのピカ一だった。それにはシベリア・シリーズに現れた鬱屈したものと表裏をなす、香月さんの生きる歓びが感じられた。 詩人 谷川俊太郎 出典:ことばを中心に(草思社1985年刊)
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香月泰男 略年譜 |
| 明治44年 | 10月25日 山口県大津郡三隅町久原に生まれる。 |
| 昭和4年(18才) | 山口県大津中学校卒業。 上京して本郷の川端画学校に通う。 |
| 昭和6年(20才) | 東京美術学校西洋学科に入学。 藤島武二教室に学ぶ。 |
| 昭和9年(23才) | 「雪降りの山陰風景」国画会に初入選。 |
| 昭和11年(25才) | 東京美術学校卒業。北海道倶知安中学校教諭となる。 |
| 昭和13年(27才) | 山口県下関高等女学校(現県立下関南高等学校)の教諭と転任。 |
| 昭和14年(28才) | 梅原龍三郎、福島繁太郎両氏の知遇を得る。「兎」40号第三回文展特選。 |
| 昭和18年(32才) | 山口西部第四部隊入隊。満州興安北省ハイラル地区第19野戦貨物厰営繕係に配属。 |
| 昭和20年(34才) | シベリヤ、セーヤ収容所に入る。後、コモナール、チェルノゴルスク各収容所を移動。 |
| 昭和22年(36才) | シベリヤ鉄道でナホトカへ。引揚船・恵山丸で帰国。 |
| 昭和23年(37才) | 山口県立深川高等女学校(現大津高等学校)に転任。 シベリヤ・シリーズ第一作「雨(牛)」「風」を国画会に出品。 |
| 昭和24年(38才) | フォルム画廊にて第一回個展。 |
| 昭和33年(47才) | 欧州巡回日本現代美術展に近作数点出品。 |
| 昭和34年(48才) | 中国新聞社(本社・広島)より郷土美術振興に寄与した功に対し第16回中国文化賞を授与される。 |
| 昭和36年(50才) | 日本橋高島屋にで「香月泰男展」開催。 |
| 昭和37年(51才) | 初の海外個展をパリ・ノドラー画廊で開催。 |
| 昭和39年(53才) | 「久原山」30号文部省買い上げ、東京近代美術館に収蔵される。 |
| 昭和42年(56才) | 画集「シベリヤ」が求龍堂より刊行され、記念展を銀座・松屋にて開催。 |
| 昭和43年(57才) | 詩人・谷川俊太郎と、詩画集「旅」を求龍堂より刊行。 |
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昭和44年(58才) | 新潮文芸振興会(新潮社)の第一回日本芸術大賞を「シベリヤ・シリーズ」で受賞。 |
| 昭和45年(59才) | 東京芸術大学非常勤講師を委嘱される。 |
| 昭和46年(60才) | 安井賞選考委員を委嘱される。 タヒチ島取材旅行。 |
| 昭和47年(61才) | ギリシャ・スペイン・モロッコ・カナリヤ諸島へ取材旅行。 |
| 昭和48年(62才) | タヒチ・ニース・コルシカ・ノルマンディー他取材旅行。 |
| 昭和49年(62才) | 3月8日心筋梗塞のため自宅にて死去。 勲三等瑞宝章が追贈される。 |
| 平成5年10月 | 山口県三隅町立香月泰男美術館が、同町湯免公園に完成、開館。 |
| 平成7年 | 没後20年香月泰男展(主催・日本経済新聞) |